5月は気候は良いけれど、憂鬱な月でもある。
何故かってプラタナスの綿毛が辺りを飛び交って、目は痒いし、鼻はムズムズ。
イタリアに来て初めて花粉症なるものを経験した。
去年まで住んでいた地区がローマでもダントツで空気の汚染がひどかったせいもあってか、5月になると鼻水が止まらず、鼻の奥が痛く、料理の味がほとんどわからなくなるのだ。
何を食べても味がしないので、料理をするのも億劫になり、人生の楽しみの大半を奪われたような気になり、気持ちも捻くれてくる。
先日、イタリア全国紙の一つ、レプブリカを読んでいると、コロナ感染陽性者の嗅覚障害の記事があった。
記事によると、PCR検査で陽性と判明した人の6〜7割が嗅覚味覚の異常があり、そのうち、2割の人が一年経ったあとにも嗅覚味覚障害が残っているとのことだ。
味がわからなくなるだけでなく、よくあるのが、コーヒーの香りが悪臭に感じられるそうで、つまり芳香と悪臭の識別ができないということらしい。
この疫病が発見されてまだ新しいゆえ、この知覚障害の原因もわかっていない。
そして、嗅覚が戻ってこない場合は、毎日数分数種類の食品の香りを嗅ぐというリハビリがあるそうだ。(香りは、柑橘類、コーヒー、チョコレート、パルミジャーノチーズなど)
人間の身体のセンサーがミクロの分子をキャッチし、それが脳に伝達され喜びや嫌悪の感情をひき起こす。
だから、嗅覚は感情ととてもつながりが深い。
さらには生命への危険を文字通り嗅ぎ分け警鐘を鳴らしてくれることだってある(例えば、ガス漏れ)。
そんなことを考えながらお昼ごはんを食べていると、そう言えば今年は、鼻にアレルギー症状があまり出ていなことに気がついた。
イタリアに来て以来、毎年悩まされた花粉症が軽いのは、今年の4月が寒かったから花粉の量が少ないからか、それともいつも着けているマスクのおかげか。
それとも引っ越して別の地区に移ったからか。
気がつけば、当たり前のように散歩中にバールから流れるコーヒーの香りを嗅ぎ、季節の野菜果物を美味しい、美味しいと食べているけれど、あらためてこの当たり前がありがたく感じられる。
今日は、アスパラガスとリコッタチーズのラビオリを作り、小海老とアスパラガスの先っちょを軽くオリーブオイルで炒めたものをのせていただいた。
ラビオリの中身は塩が少なかったようで、相方が「塩をかける」と言う。
ちょうど良いと思ったけどなぁ、と思いながら私もかける。
すると、アスパラガスと一緒に炒めた玉ねぎの甘みやリコッタチーズがより感じられて美味しくなった。
塩梅は大切だ。